後編 無敵の女王

春はマイル路線で頑張ったホクトベガ

牝馬限定の交流競走に矛先を向けてきた。川崎競馬場で行われたエンプレス杯だ。

2着のアクアライデンに3.6秒の大差をつける圧勝劇。

しかも全くの馬なりで勝利を飾る。

川 崎 「 エ ン プ レ ス 杯 」

その後も芝のレースを使うも福島記念での2着が最高着順だった。

 

快進撃!!

7歳になったホクトベガは矛先をダートに向けた。

川崎記念

私は生で観戦した。この時のライバルはこのレースの後ドバイ遠征が決まっているライブリマウント。

直線ホクトベガが先頭に立つともう独走態勢!

最大のライバル、ライブリマウントはまだ伸びてこない!!

ホクトベガは2着のライフアサヒに1.0秒差の圧勝!

ここからホクトベガの快進撃が始まる。

 

現在はG1だが当時はG2のフェブラリーステークスに出走する。

斤量が57キロと決して楽ではなかったが、そんな事も問題なく楽勝。

これでダート重賞2連勝だ。

 

次のターゲットは船橋競馬場のダイオライト記念

距離は2400m。今度は距離的に楽観できないかと思った穴党をがっかりさせる圧勝。

まさに無敵!

ダートなら無敵状態で次なる群馬記念に出走する。

ナント単勝100円戻し、レースも圧倒的な強さで群馬競馬場のレコードを2秒6塗り替える圧勝!

 

快進撃はまだまだ続く大井競馬場で行われる帝王賞はホクトベガ見たさに超満員の8万人の入場者を記録する。

もう国内に敵ナシ状態の5連勝!!

昨年18馬身差の大差を記録したエンプレス杯に出走。もう勝つことが当たり前になっていた。8馬身差の圧勝で連覇達成。

 

秋になって盛岡競馬場の南部杯に遠征する。この日のホクトベガは逃げた。全く危なげなくレースを進めたホクトベガは

この勝利で破竹の7連勝を達成する。

この年から4歳限定戦ではなく、古馬に解放されたエリザベス女王杯に同レース2勝目を目指してホクトベガは出走してきた。

久々の芝&長距離輸送にもめげずホクトベガは鋭い追い込みをみせて5位入線。ヒシアマゾンの降着があり着順は繰り上がって4着。

勝ったのは、ダンスパートナーで2着にはフェアダンス。

まさに今が旬といった感じだった。

京 都 「 エ リ ザ ベ ス 女 王 杯 」  

 

エリザベス女王杯では連勝が途切れはしたもののダートなら話は別。

浦和記念では大幅の馬体増もあり、キョウトシチーに一瞬並ばれてまさか!と思わせたが貫録勝ち。

これで南関東4競馬場(浦和・船橋・大井・川崎)全場制覇の偉業を達成した。

 

ホクトベガ芝に挑戦?

(エリザベス女王杯を勝っているホクトベガに挑戦という言葉が適切か??と思いました。結構マスコミはこのようなことを言っていたように記憶しています。)

有馬記念。エリザベス女王杯で見せたあの追い込みが決まれば一発はあると思ってましたが、、、サクラローレルから遅れること2.2秒差の9着に敗れた。

 

もうすぐ嫁入り

そして迎えた1997年ホクトベガは8歳になっていた。

引退まで後2戦。国内1戦、海外1戦だ。

ホクトベガは国内最終レース「川崎記念」に出走した。

1周目のスタンド前で先頭に立つと、国内最後のレースを貫禄の逃げ切り勝ち。交流重賞10連勝の金字塔をなし遂げた。

2着はキョウトシチー3着にはコンサートボーイ

川 崎 「 川 崎 記 念 」

 

引退レース

そしてついにホクトベガの引退レースドバイワールドカップを迎える。

レースの3週間前からドバイで調整をしていたが、ホクトベガは環境の変化に戸惑い、大幅に馬体を減らしてしまった。

さらには裂蹄を発症し調教を休んだ、、

私はそんな記事を目にする度に「無事に帰って来てくれ!」と思っていた。

当初レースは3月29日に行われる予定だったがドバイの年間雨量の2倍という集中豪雨に見舞われ、レースは5日後の4月3日に延期された。

この豪雨はホクトベガにとって恵みの雨となった。体調を整える意味で幸いし、環境にも慣れ、食欲も出て日増しに毛ヅヤも良くなっていった。 

そして仕切りなおして迎えた4/3・ドバイワールドカップ。

日本でホクトベガの健闘と無事をを祈った、「翌日の新聞が楽しみだな〜。ホクトベガ世界制覇!!なんて見出しか?」と思いながら、、眠りについた。

そして翌朝、楽しみにスポーツ新聞を買い、一目散に競馬欄に目を通す、、

 

 

 

「ベガぁ〜〜、、、ベガぁああ!!!」

絶句、、、

しばし言葉を失い、私は人目をはばかることなく涙した。

ホクトベガは世界の強豪相手に後方3番手の競馬、3コーナーから4コーナーでペースアップした瞬間、ホウトベガは前を走るイーヴントップと接触し左前脚から崩れ落ちた。 起き上がろうとしたその時、ビシュータント(英)が重なって倒れた・・・ホクトベガは下敷きになって動けなかった、、、、

ホクトベガは日本に帰ってくる事が出来なくなった。

そればかりか、もう会う事も出来ない。

ホクトベガ、、、星となった。

 

 

川崎競馬場のエンプレス杯はサブタイトルに「ホクベガメモリアル」とついた。川崎では4戦4勝、交流競走10戦10勝と無敵だった、ホクトベガの功績を讃えての事だ。

 

私はホクトベガの世代を最強牝馬世代だと思っている。

桜花賞・オークスの2冠牝馬ベガは初子から日本ダービーを勝ったアドマイヤベガを産んだ。

エリザベス女王杯で敗ったマイルの女王ノースフライトはミスキャストが皐月賞に出走した。

さらにはダンツフレームの母インターピレネーもまたホクトベガと同期、、、

同期の子供たちがターフを走り回るたびに思い出す。

 

この先どんなに好きな牝馬ができてもホクトベガと比べてしまうだろう。

多分、ホクトベガよりも愛することはできない。

それほどホクトベガを愛してました。

今は安らかに、、、とご冥福を祈るまでです。

思い出を一杯ありがとうホクトベガ。

 

〜おしまい〜

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by 管理者 ダービーアイダ(2001/04/18)

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〜読まれた方の感想 13名の方からお寄せいただいてます(掲示板・メールより抜粋)

まぁちゃんさん

4/18(Wed) 23:34

早速読ませていただきました。なんたって、大好きなファストフレンドの大先輩ですから!! 私、ホクトベガの若い頃って知らないんです。 私が知っているのは、芝でイマイチの成績が続いて、障害の練習をはじめた、というあたりからです。 だから何だか苦労して自分の道をみつけた馬、という印象でしたが、しっかり三冠すべてに出走していたんですね。 後半は読みながら、そうそう、と色んなことが思い出されてきました。ナイターで走るホクトベガってカッコよかったです! でも、ドバイのことは思い出すのがつらいできごとですね。 初めて結果を期待してみた国際Rでした。でも、砂の上に横にゴロンと倒れたホクトベガを見たときは、胸が凍りつきそうな気持ちになったのを忘れられません・・・。 地方と中央の交流・・・、関係者の努力以上に、この馬の魅力が引っ張っていった、といっていいと思います。 ありがとう、ホクトベガ。 

マーちゃんさん

4/19(Thu) 00:59

マーは、今でも、ホクトベガは、大好きな 馬の中の1頭です♪中央の時は、まさに、「ベガはベガでも ホクトベガ」は、印象的ですね♪でも、むしろ、地方に移籍した、ホクトベガは、ずいぶん、目近で見ましたよ!!地方の時は、何故か、大差で、1着・1着・に成っても、ハンデが軽いんだ・・・・笑 最後の華を飾る、ドバイは、本当に残念だったね!!ほんに、改めて、ご冥福をお祈りします♪

Masaoさん

4/19(Thu) 02:01

当時まだ競馬のことをよく知らなかった僕でも、「やってきたのは、ベガはベガでもホクトベガ」という実況だけは印象に残っています。そして、ホクトベガというダートの女王がいた、ということも記憶に残ってます。しかし、エリザベス女王杯を勝っていたことは知りませんでした。 引退レースで星となってしまうなんて、なんと悲しい運命を背負った馬なんでしょう。同世代の仔たちが活躍しているだけに、ホクトベガの死はとてもつらいです。この馬に限らず、安楽死処分をとられる馬は悲しくて見ることができませんが、その場面すら見ることもかなわず、海外でひっそりと星になってしまったんですね。感動しました。

たあぼさん

4/19(Thu) 02:27

ホクトベガ読みました! 自分が一番競馬に入れ込んでいた頃の活躍馬なだけに、やっぱりこみ上げてくる感動・悲しみはひとしおです。 交流レースに参加するというローテを確立した馬だと私は思っていますし、芝・ダートを問わず活躍したこの馬こそ、真のサラブレッドだったと確信しております。 冥福を祈っています

専務取締役 Nさん

 4/19(Thu) 18:35

読ませていただきました。 私が競馬を見始めたのは平成6年の秋ですから、「ベガはベガでもホクトベガ」はリアルタイムでは知りません。わたしがこの馬をハッキリと認識したのはAJCCで2着になったときです。 その後の京王杯SCの末脚を見て、私は安田記念でこの馬に◎を打っています。結果は出ませんでしたが、後のエリザベス女王杯(旧表記7歳時:4着→○評価)を見ても、この馬は芝でも牝馬ならトップクラスであったと思います。(古馬になっても。) ダートでの砂姫ぶりは言うことがありません。エンプレス杯では文句なしの圧勝劇。交流重賞での圧巻の走りの連続。フラワーカップを勝っていたのですから早熟ということはないでしょう。長きに渡ってあらゆる舞台でトップクラスの力を見せ続けた素晴らしい馬だと思います。 ドバイWCの季節が近づくとホクトベガを思い出します。これから競馬を見始める人は、ドバイというと“ステイゴールド”や“トゥザヴィクトリー”を思い浮かべるようになるのかもしれませんが、どうか異国の地に散った砂姫のことも知って欲しいと思います。 アイダさんの文章には、そんなホクトベガに対する愛情がにじみ出ていました。“人目をはばからず涙した”という最後の方のフレーズでは思わずもらい泣きさせられました。素晴らしい文章をありがとうございます。

チョビンさん

4/19(Thu) 21:43

構成が本当に綺麗に出来ていますね。 構成の段階からホクトベガを大切に思っているんだな、ということを感じました。 ホクトベガはデビューからトントン拍子といった感じでしたよね。桜花賞も負けはしましたが、それほど悲観するものではなかったと思います。 秋を迎えてエリザベス女王杯でしたね。 勝ちました。 その後はGT馬とは思えない酷なローテーション。。。 あの辛いローテーションからダートの女王に上り詰めたんですよね。最後のレースが文字通り最後になってしまったのは本当に残念でした。僕はラジオ短波で放送を聞いていたので、リアルタイムで結果は知っていましたので、「ホクトベガ、落馬!」と聞いた時には「落馬。。。仕方ないよ。」と思いましたが、翌日の新聞を見ると『予後不良』という文字が。。。 事態は僕が思っていた数倍重い事態でした。 ダービーアイダさんの涙した、というのは非常によく分かります。最愛の馬の最後が自分の知らないところでひっそりと亡くなっていたという事実。衝撃的ですよね。 そして、ダービーアイダさんのこれから好きな牝馬が出てきても、この馬以上には愛せない、というのに感動しました。 人は忘れる動物です。しかし、忘れないことや忘れてはいけないことがありますよね。ホクトベガは存在しませんが、ダービーアイダさんの心の中では永遠に行きつづけることと思います。そんな存在も生きていることに繋がると思います。 色々考えてしまいました。 ダービーアイダさん、素敵な文章をありがとうございました。 ..

broadmindさん

4/19(Thu) 21:56

ホクトベガも今では懐かしい馬になってきましたね。私はこの年の牝馬はベストダンシングとスターバレリーナを応援してたんですが、かなりやられました(^^; 雪の中のフェブラリーSは強かったですね。エンプレス杯以上に印象深いレースです。 私がいちばん印象深い牝馬はイクノディクタス。あの安田記念、取ったんですよ・・・ なんて、ウソです(笑)

ジャンポンケンさん

4/20(Fri) 05:20

今、彼女の事を思い出しながら書いています。そうですねぇ、3歳時(旧4歳時)はベガというもう一つの一等星がいて、どうもその名前に対しての引き立て役だなぁという印象がありました。しかし秋の名実況でも知られる通り、こちらも一等星の輝きをみせてくれました。そして、その後の低迷期を忘れさせるぐらいインパクトのある砂姫ぶりには言葉では言い表せないような、胸の高まりがありました。レースが近づくたびに今回はどれぐらい離すのだろう?と友人と喋っていたのが懐かしいです。雪の中のフェブラリーSは数少ない映像を見れる機会であったのにあまり姿がよく見えずにガッカリしたことも思い出しました。馬券も外れたし(笑)。ドバイでの事は僕も翌日の新聞で知りました。正直、嘘だろ?って感じで学校に行くのが凄く憂鬱でしたね。ホントに好きな馬が怪我や事故で亡くなってしまうのはツライです。僕もライスシャワーが亡くなった時には競馬はやめようと真剣に思いましたし。今でも一番好きな馬ですしね。アイダさんのお気持ちがわかります。アイダさんはダイワルージュに夢中になれそうとのことですが、僕も今はジャングルポケットに夢中になってます。過去のことは胸にしまい込んで、今を追いかける。そしてまた今が過去になった時、次の時代を追いかける。そうやっていろいろな馬との出会いを楽しめるのが競馬のいいところだと思います。当然過去の馬をないがしろにするわけでもないですし。残念ながらホクトベガ&ライスの子孫は見れませんが彼女達と一緒に走っていた馬たちの子供がこれからもたくさん出てくるでしょう。そんな彼&彼女達に声援を送ることが、ホクトベガ&ライスの事を忘れることなく、最大の供養になると思います。 それにホクトベガがいなかったらこんなにダート路線は整備されなかったでしょうね。それぐらい衝撃を与えてくれた馬でした。中央の芝G1を勝った馬がこれほどまでにダートで活躍すれば無視できないでしょうね。そういえば今年のトゥザヴィクトリーの力走はホクトベガの後押しがあったのかも。一度低迷した馬同士であり、芝からダートに戦場を移した点も似ていますしね。 いつかドバイの砂で日本馬が勝ってくれるのを彼女も願っていると思います。そのためにもこれからの馬たちに頑張って欲しいです。

ビビるさん

4/20(Fri) 09:24

読ませていただきました。 ホクトベガが落馬し、横山典騎手が投げ出されたとき 実はもう一頭、その後ろに馬がいて 横山騎手は巻き込まれそうになりました。 しかし、偶然なのか? その馬は、まるで自分の身で横山騎手を守ろうとした ホクトベガとぶつかり、横山騎手は軽傷ですみました。 でも…本当に、偶然だったのでしょうか? もしかしたら彼女が自分の遺志で…。 1997年のドバイWC。 先輩からわざわざラジオたんぱの入るラジカセを借り、 リアルタイムで聞いていました。 しかし…。 当時ゲスト出演していた井崎さんが絶句してしまい、 鈴木淑子さんが涙ながらに ホクトベガにコメントをしていたのが記憶に残っています。 ラジオを聞いていた僕でさえも 「普通の落馬」と考えていました。 翌朝、北海道地方の地方ニュースはこの事を トップ扱いで報道。 「ホクトベガ 無念の落馬」というテロップ。 「安楽死処分となりました」というアナウンサーの口から 発せられた一言にしばし呆然としました。 この時、中野隆良調教師が言っていた 「競馬だからこういう事がつきものだ」という言葉は ヒシアマゾンでも海外遠征断念という、 辛い思いをした同師だから重みのある言葉です。 それを考えると、ステイゴールド、トゥザヴィクトリーの 今年の快挙はますます価値があり、今度VTRで見たら 涙が出てしまうかも…。 みんな、悲しみを乗り越えて大きくなって行くんですね…。 ホクトベガよ!永遠なれ!! あ、↑でまた再現実況(ほぼ正確に。笑)やります♪

一番人気はスターバレリーナ。 二番人気には牝馬三冠がかかるベガが支持されていた。 そして、直線…。 「先頭はこのあたりケイウーマン粘っているが 外からスターバレリーナ、外からスターバレリーナ! 内からデンコウセッカ、内からデンコウセッカ!! 大外を通りましてベストダンシング! 大外、ベストダンシング! ベガ苦しいっ!ベガ苦しい! 馬群を割れるか、馬群を割れるかっ!? 真ん中、ノースフライト!真ん中、ノースフライト!! 内からホクトベガっ!!、内からホクトベガ!! あと100mです! ホクトベガ、一馬身半のリード! ベガはベガでもホクトベガです!!!!」 by関西テレビ・馬場アナウンサー …しかしこんなに覚えているのはなぜでしょう(怪)。 実は友人が昔「競馬実況テープ」というのを 編集して作ってきて(爆)、しかもビビる、 それを何回も聞いていました(再爆)。 そりゃ覚えるっちゅーねんΣ( ̄■ ̄;)。 また思い出したレースあったらカキコします。 …自分のHPでもやろうかしら!?

スナフキンさん

4/20(Fri) 12:59

あのとき、早朝のBS1で、ホクトベガ勝ったかなあ〜。 なんて思って、みたら、合田さんの様子がおかしい。 どうしたの!っておもったら…。 信じられませんでした。 なんでこうなるんだろって思いました。 悲しくてしかたなかったです。 サイレンススズカの世代で、新馬の頃から応援してた馬が2頭います。1頭はサイレンススズカ。もう1頭はオースミサンデー。2頭とも今はこの世にいないんですよね。 あの頃は結構応援している馬がなくなるということが起りました。ワンダーパフュームも。悲しくなります。 でも絶対心の中でずっと忘れず、彼らのことを後の世につたえていければいいのではないかと思います。子供も残せない彼らに僕達ができる唯一のことではないでしょうか。 トラストミューツーもなくなっちゃったんですよね。 競馬やってるととてつもなく多くの不幸にめぐりあいます。 でももっともっと楽しくって、嬉しいことにめぐりあえるんですよね。だから、応援してる馬が死んだときに競馬を止めようとはおもわないです。この馬をずっと語っていきたい。だから一生競馬をやっていこうと思う日々です

まさてつさん

4/21(Sat) 00:09

正直僕は、競馬の事については全くと言って良いほど解りません。(アイダマ氏にはメールで馬の事教えてもらったりしてますが…)アイダマ氏がどの位の思いがこの馬に有ったのか、またどれだけ馬が好きなのかビシビシ伝わって来る文章で久しぶりに感動しました。これからも僕を感動させてくれるコラムと楽しいHPを作っていって下さいね

まりえさん

4/23(Mon) 14:07

早速読ませて頂きましたよ、ホクトベガ。 私の中では思い入れのある、別格の馬なので『NEW』印を見てすぐに読んでいました。 私、ドバイワールドカップはTVで見ていました。 本当にショックでした。 それまでどのレースもホクトベガから買っていました。 同じ厩舎(だったと思う)のヒシアマゾンと一緒に写っているパネルも持っています。 ちょっと前に私のHPの自己紹介欄の『夢』の所には『ドバイに旅行』と書いていました。 結局鬣しか帰って来られなかったんですよね。 だから死ぬまでに絶対にドバイに行こうと本当に思っています。 ドバイワールドカップの時のエピソードにこんなものがありましたよね。 典が倒れて起きあがれなくなったホクトベガに駆け寄ったら立てないのにもう一度走る為に一生懸命立ち上がろうとしていたって。 典は『もういいんだよ』って声をかけたそうです。 どう見たってレース、そして競争生命どころか命までもあとわずかしか残されないだろうって典だってわかっていた事でしょう。 色々言われていましたが、本人が1番辛かった事でしょう。 日本の競馬ファンの期待を一心に受け参戦した騎手のプレッシャーや喜び、使命感なんて誰にもわからないと思います。 今でこそ、色んなレースに出るようになりましたが、あの時ってそんなに海外レースに参戦するなんてなかったですよね? ダービーアイダさんの記事を見て本当にあの時の事が蘇ってきました。 でも、特集記事になって本当に嬉しかったです。 これからも色んな馬の紹介をしてくださいね。 とっても懐かしく、嬉しかったのでカキコさせて頂きました。(^-^)

えぱさん

4/23(Mon) 20:21

ホクトベガ…本当に残念でした。 エリザベス女王杯で万馬券取らせてもらってから大好きに なり、ずっと応援してたんですよね。 本当に良く走ってくれたし繁殖牝馬になること楽しみに してたのですがねぇ。

ぴよ太さん

4/26(Thu) 23:13

 

まず競走成績を見て、ドバイのレースまでは牝馬ながら4年間も 順調に使われ42戦も走ってきたのにはびっくりしました。よく走っ ているな、とは思っていましたがそんなに走りつづけていたとは。 しかも交流重賞10連勝を含む16勝も挙げて今更ながら本当に 「砂の女王」と呼ばれるほど強い馬だったのですね。あらためて ホクトベガのすごさを実感しました。 エリザベス女王杯の「ベガはベガでもホクトベガ!!」という実況 は、いつまでも語り継がれる名実況のひとつですよね。 レース予想ですが、私は府中牝馬S勝ちのノースフライトをベガに 次ぐ2番手評価位でしたが、ホクトベガは全くのノーマークだった ので1着になった時には、唖然としてしまったのを覚えています。 ホクトベガが一時、障害練習をしていたのは、知らなかったです。 もし、AJCCの好走がなく障害入りしていたら、その後のダートで の活躍も見れなかったかと思うと幸運を自ら手にいれたのですね。 ダートの交流競走での圧勝続き・南関東4競馬場全場制覇は、 ダービーアイダさんにとっては中央で勝つよりもうれしかったので はないでしょうか! 引退レースで有終の美を飾る為に、ドバイワールドCという世界の 舞台は、ホクトベガにふさわしいレースになるはずでした。でも、 異国の地でいつもと違った環境での調整はホクトベガにとって、 ストレスとなり向いていなかったのでしょうか。 ダービーアイダさんの「無事に帰って来てくれ!」という思いは、 結果的に、届かなかったのがとても残念です。 レースの翌日のスポーツ新聞で、楽しみにしていたはずの記事が 予想だにしなかった内容で、しばし言葉を失い、人目をはばかる ことなく涙した。という所で「無事に」という最大の思いが届かず、 無念さ、残念さ、くやしさ、悲しさなどが伝わってきます。 レースでは、いつもの逃げ・先行とは違い後方からでいつもと違う 展開に戸惑ってしまっていたのかも知れません。3〜4コーナーで いろんな事故が重なって下敷きになってしまったのですね。本当に 残念で仕方がありません。 以前にステイゴールドが海外遠征が予定された時に反対されていた のは、愛する馬がまた同じような危険性を冒す可能性があり2度と そのような悪夢をみたくなかったからなのだなと、この文章を読んで 思いました。 名馬をいつまでも語り継いでいくダービーアイダさんの『私が愛した 馬たち』。これからも楽しみにしています。

たくさんの感想ありがとうございます。

ホクトベガも喜んでくれているはずです。

改めて、、ホクトベガ様

ありがとう!!

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