サニーブライアン 厩舎 美浦・中尾銑治
ブライアンズタイム 馬主 宮崎守保
サニースイフト 生産者 村下ファーム
母父 スイフトスワロー 誕生日 1994年4月23日生

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1997年クラシック。この世代はマル父が主役だった。弥生賞を勝ったランニングフリーの息子ランニングゲイル。共同通信杯を勝った、メジロライアンの息子、メジロブライト。

1997年皐月賞、私はサニーブライアンから馬券を買うつもりだった。だったというのは、、、金曜日の夕刊でサニーブライアンをチェックしたが、私は驚いた、◎どころか、△の一つもついていない!「あーこれはさすがに狙いすぎなのか?」と自問自答をしたのちすぐに本命を変更してしまった。はじめ本命にしようとしていた根拠は人気のメジロブライト、ランニングゲイルが追い込みの馬だから、穴は先行馬!と思っていたからなのだが、結局あまりの人気のなさに怖気づいて本命をビッグサンデーに変更したのであった。馬券はビッグサンデーからヒダカブライアン、オースミサンデー、シルクライトニング、サニーブライアンと馬券を購入した。

レースが始まり、大外からサニーブライアンが逃げていった時ものすごーく嫌な予感がした。人気のメジロブライト、ランニングゲイルは後方待機まさしく、穴なら先行馬という展開。4角を先頭でサニーブライアンが通過したとき私は、サニーブライアンの頭は決まったと確信してしまった。

結局サニーブライアンが逃げ切り勝ちを収め、2着にもシルクライトニングがはいり、馬連は500倍を超える万馬券となった。さすがにこの時自分を責めたものだった、、、、。「なんで新聞に印が何もついていないだけで予想を覆したのだろうか?」この時を境に私は「大穴はマスコミが作る」という格言を唱えて行った。

皐月賞を鮮やかに逃げ切ったサニーブライアンはレース間隔を詰めて使った方が調整しやすいという理由で日本ダービー前に青葉賞を使う予定だったのだが、他の馬に脚を蹴られるアクシデントで青葉賞は回避し、日本ダービーに直接向かった。

日本ダービー皐月賞では、サニーブライアンが鮮やかな逃げ切りを収めたせいか、人気がとても割れていた。私は皐月賞でサニーブライアンを本命に推せなかった悔しさからサニーブライアンの単勝を買った。

人気は、皐月賞に引き続き、メジロブライト、ランニングゲイルが集め、サニーブライアンは7番人気という半信半疑的な支持を受けレースを迎ようとしていた。

しかしレース前、安田富男騎手の悲願のダービー制覇がかかっていた、シルクライトニングが除外になるというアクシデントがあって、なにやら波乱の予感。

スタートがきられて、サニーブライアンが大外から一気に逃げてでると、逃げ争いを演じるとおもわれたサイレンススズカは控えて、皐月賞に続きサニーブライアンの一人旅となった。淡々とレースは流れていく、まるで皐月賞のリプレーをみるような感じで4角を先頭サニーブライアンが通過した。人気のメジロブライト、ランニングゲイルはまだ後方待機。

直線に入ってもサニーブライアンの脚は衰えない。皐月賞の後に言われた「フロックだろ?」と思った奴等はここで背筋が凍る思いをしたに違いない。

レースも残り100mにさしかかり、ようやく後方待機のメジロブライト、シルクジャスティスが追い込んできたもののもうセーフティリード、皐月賞に続き日本ダービーを勝ち鮮やかに2冠達成を遂げた瞬間だった。

TV実況の三宅アナウンサーのもうフロックでもなんでもない!サニーブライアン2冠達成!がいまでも心の中に残っています。

大西騎手が1番人気はいらない、1着が欲しいの名言もかっこよかったです。

この後、サニーブライアンは左前脚の骨折のためレースからはなれ3冠達成はならなかったが、菊花賞を見て、あんなにスローならまさにサニーブライアン3冠達成!だったのに。

その後サニーブライアンは5歳になって戦列復帰を目指して調整されたが、その矢先に屈腱炎を発症し、現役を引退し種牡馬になった。

子供たちが2001年からデビューする。私たちに魅せたあの逃げっぷりを受け継いだ馬が再びターフに現れる日を待ちたい。

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〜読まれた方の感想〜

ハンデ師さん あの時の感動を思い出し、つい、目頭が熱くなってしまいました。「これはもう、フロックでもなんでもない!!サニーブライアン、二冠達成!!!!」「一番人気はいらない、一番になりたかった。」今でも、よーく覚えてますよ。自分も一年間競馬をやった最初の年のことでした。それだけに、サニーブライアンがくれた感動は、格別なものでしたよ。これからも、当時の感動を時々思い出させて下さい。俺以外にも、当時のことを思い出し、何か感じた人は必ずいるはずですから。
ラスカルさん 「もうフロックでもなんでもない!サニーブライアン2冠達成!」は印象的な言葉ですね。
この馬には苦い思い出しかないですが、今考えると強い馬でした。あの当時はメジロブライト中心だったので玉砕しました。(笑)(2000/11/13)
たいっちゃんさん いろいろ私もサニーブライアンに思いいれもあるんですが、逃げが開花したとたんに引退しなければならないのはつらいですよね。大西騎手の「ゴールが遠かった」って言うコメントは今でも覚えてます。でもそのまま走っていればどこまで強くなったか想像するのは楽しいですね。(2000/12/20)
ぴよ太さん
サニーブライアンが2冠を制した年は、ナリタブライアンが3冠を制してから3年が経ち、しかもマイネルマックスが朝日杯3歳Sを勝ったことから、その年の3月頃までは、今年はブライアンズタイム産駒が活躍するだろうと確信していました。しかし、武豊騎手のランニングゲイルが弥生賞で3・4コーナーからまくり差しで勝って強い印象を与えられ、またメジロブライトも後方から追い込む競馬で強さを見せ付けられた。
そんなことから、皐月賞には前述のブライアンズタイム産駒がいたが印象が薄くなり、スプリングSの1・2着馬や弥生賞馬から馬券を買っていました。結果は周知のとおり、ブライアンズタイム産駒が1・2着で5万馬券となったことから、事前には今年はブライアンズタイム産駒と思っていたのに・・・と悔やんだのを覚えています。
日本ダービーでは、皐月賞の教訓を生かすべくサニーブライアンから買おうと一時考えたけど、出した結果は皐月賞は展開がはまったものでフロックである。府中の長い直線では、まず持たないだろうと思い、またメジロブライトを含む追い込みの人気馬から馬券を買いました。だが4コーナーで脚いろが全く衰えていないサニーブライアンを見て、早々とまたしまったと思いました。
そんな懐かしい思いでした。(2001/01/26)
Nさん 結局引退まで、この馬には△1つ打ったことはありませんでした。あの皐月賞は、ステップとしては重要視されていた若葉Sの1番人気(サニーブライアン)と1着(シルクライトニング)だったんですよね。それで5万馬券。3着のフジヤマビザンも若葉Sでしたね(2着)。私は◎ヒダカブライアンでしたから、ブライアン違いでした(苦笑)。ダービーも人気はありませんでしたが、非常に強い内容でしたよね。やはり逃げて勝てる馬というのは強さだと思います。みなさんも仰っていますが、あの三宅アナの実況は本当に良いものでした。(恥ずかしながら私は◎セイリュウオー。)
菊花賞、出て欲しかったです。サニーブライアンの存在があれば、結果は大幅に変わっていたと私は思っています。3冠、あったのではなかろうかとも思っています。非常に残念でしたが、いい産駒を期待したいですね。(2001/02/01)

 

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