エアジハード
誕生日 1995年4月9日生
サクラユタカオー
アイシーゴーグル
母父 ロイヤルスキー
馬主 吉原 敏文
厩舎 美浦・伊藤 正徳
生産者 社台ファーム
通算成績 12戦7勝 (C)黄色いしっぽ

名前の響きが好きだった。

エアはエアグルーヴ、エアシャカールなどの冠名。

ジハードとは神聖な戦争。正義を守るための戦い(和英辞典より)。

これを合わせてエアジハードという名前。

よく新聞の見出しに「空中聖戦」という見出しが載ったりもし、「おいおいなんだよ空中聖戦って?」と笑ったりしたものだった。

 

 

エアジハードは関東馬ながらデビュー3戦を武豊騎手が手綱を取ったということから陣営のエアジハードに期待しているのが分かる。

デビュー4戦目のNHKマイルカップ。

当時の外国産馬はクラシックレースに出走する事が出来なかったので、外国産馬の独断場となっていた。

これまでデビュー3戦手綱を取ってきた武豊騎手はマイネルラヴに乗り、橋本広喜騎手が手綱を取ることになった。

数の上でも外国産馬に押されていたNHKマイルカップ、父内国産馬エアジハードは8着に敗れた。

勝ったのはエルコンドルパサーだった。

飛躍へ

秋に復帰した彼は自己条件を当たり前のように勝ち上がりG3の富士ステークスをも古馬を相手に楽勝した。

決してものすごい着差ではなかったが、どう見ても遊びながら彼はG3楽勝したのだ

ここでようやく私は「G1を勝てる力はある」と思った。

早くも私は友人に来年の安田記念を勝つのはエアジハードと吹いていた。

 

大願成就

そして、五歳春、安田記念奪取へ始動したエアジハード。

こんなところで負けるハズがないと信じていたが1分32秒台で走っての敗戦なら致し方なし。勝ったナリタプロテクターを誉めるべきと思うようにしていた。

京王杯スプリングカップは豪華なメンバーが揃っていた。最強馬グラスワンダーに2冠牝馬のファレノプシス、にビッグサンデー、エガオヲミセテ、ブロードアピール。

 

最後の直線で先頭に立ち「よぉ〜〜し!」と思ったその瞬間。

「外からグラスワンダー!!!」

一気に差しきられてしまった。

しかし一流のメンバーの中に入っても充分やれることを証明した一戦だった。

周りの人間はこれで安田記念はグラスワンダーで堅いと言っていた。

私はそんなことはない。

勝つのはエアジハードだと確信を持っていた。

 

そして迎えた安田記念。

1番人気には前走鮮やかな末で差しきったグラスワンダー。

2番人気にキングヘイロー、3番人気にシーキングザパール。

前走で勝負付けが済んだと思われたか?エアジハードは4番人気だった。

エアジハードはグラスワンダーより後ろにいた。そして直線を向いて後続を突き放したグラスワンダーに追いすがる

「グラスワンダー先頭!」

「外からエアジハード!!!」

「グラスワンダーか?エアジハードか??」

壮絶な一騎打ちだった。

安田記念

ひいき目で見ていた私は

「勝った!!!」と大喜び!!

着差はハナ差だった。

私の予言は的中したのであった。

秋になれば、もっと強くなるはずエアジハードに期待が膨らんだ。

 

マイル王として

秋、ぶっつけで天皇賞へというローテーションを選ぶ。

(この時私はホッカイルソー、ステイゴールド、エアジハードを応援しに府中で現地観戦していた。これだけ好きな馬が集結するのは今から思えば珍しいことだなあと思う。)

直線を向きもしやこのまま勝ってしまうのではと思われる手応えだった。

しかしゴール直前ステイゴールドとスペシャルウイークにかわされて3着だった。

早めに先頭に立って一番強い競馬をしたのはエアジハードだった。

(非情にも外からステイゴールドが飛んできたとき、私はステイを応援してました、、、すいません)

このレースでエアジハードの安田記念はフロックではないということが充分証明された。

 

春秋統一へ

天皇賞3着を経て、マイルチャンピオンシップは初の関西遠征になった。

「負けるわけがない」と思ってはいたのだが、どうも初の関西遠征が引っかかる。

メンバーを見渡しても勝負になりそうなのはエアジハードとキングヘイローとブラックホークくらいと予想していた。

レースはまさにその通りになった。

直線先に抜けていたブラックホークにエアジハードがもはや次元の違う末脚を繰り出して勝利し、直線良く追い込んだキングヘイローが2着。

私の些細な不安をいとも簡単に打ち消してくれたエアジハード。これで安田記念-マイルCSを制覇でマイル王となった。

海外遠征

エアジハードは香港でG1取りを狙うため旅立っていった。しかし、香港で彼が走る事は無かった。

父内国産馬で初めて海外G1制覇を遂げてくれると信じていた。

しかし、屈腱炎になってしまったエアジハードは現役を引退し種牡馬になった。 

 

父サクラユタカオーは受精能力低下に伴い種牡馬引退してしまった。

サクラユタカオー  (C)黄色いしっぽ

その息子エアジハードにかかる期待は大きい。

 

開催日 競馬場 レース名 コース 斤量 騎手 人気 着順 走破時計
1997.12.7 中山 新馬 芝1200 54 武豊 1.10.8
1998.2.1 東京 カトレア賞 ダ1200 55 武豊 1.13.6
1998.3.22 中山 スプリングS 芝1800 56 武豊 1.50.1
1998.5.17 東京 NHKマイルC 芝1600 57 橋本広 10 1.34.5
1998.10.18 東京 900万下 芝1600 55 橋本広 1.36.4
1998.11.14 東京 奥多摩S 芝1400 55 橋本広 1.22.2
1998.11.28 東京 富士S 芝1400 54 橋本広 1.23.0
1999.4.25 新潟 谷川岳S 芝1600 56 橋本広 1.32.5
1999.5.15 東京 京王杯SC 芝1400 56 蛯名 1.20.6
1999.6.13 東京 安田記念 芝1600 58 蛯名 1.33.3
1999.10.31 東京 天皇賞(秋) 芝2000 58 蛯名 1.58.2
1999.11.21 京都 マイルCS 芝1600 57 蛯名 1.32.8

しかし、エアジハードの世代は熱かった。

エルコンドルパサーにグラスワンダー、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、、、

あげればキリがない。

最強世代という言葉がまさにぴったりの世代だったと私は思います。

おしまい

 

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by 管理者 ダービーアイダ(2001/05/24)

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〜読まれた方の感想(掲示板より抜粋)

Nさん

6/ 2(Sat) 20:04

あの馬の存在をハッキリと認識したのはスプリングSでした。凄い入れ込みようで、皐月賞への出走権を獲ることは出来ませんでしたが、なんか伝わってくる能力のようなものを感じました。NHKマイルCでは○評価(◎はエルコンドルパサー)。8着でしたが、内国産再先着。成長すればGIにも届くような感じはありましたね。富士Sで初重賞Vの時も○評価(◎はスピードワールド)。驚きはありませんでした。むしろ当然かな、という印象すら受けました。 谷川岳Sでも休み明けであの時計で走れれば充分、マイル王へ着々と歩み寄っているなあという感じでしたね。京王杯ではグラスワンダーが出ていたのでまたしても○止まりでしたが、見事に好きな馬でワンツーを決めてくれました。安田記念では迷った挙げ句にシーキングザパールを○にして、エアジハードは▲評価としてしまったので、その罰があたったのかもしれません。愛するグラスワンダーが敗れたのはショックでしたが、エアジハードに負けたのなら、という感じもありました。 天皇賞では印を打ちませんでした。ぶっつけであったことと、「マイル王になってほしいから」という理由でした。結果は3着。本当に力をつけているのだなと感じました。続くマイルCSでも私は▲を打ちました。エアジハードを好きだという気持ちが無かったわけではないのですが、◎キングヘイロー−○ブラックホークに次ぐ評価。春にグラスワンダーに勝ったことを恨んでいたわけではないけれども、どこかにそういう気持ちが少しはあったのかもしれません。また、人気になりすぎると反抗してしまう私の悪癖が出たのかもしれません。それをあざ笑うかのように彼は勝ちましたね。まったくもって鮮やかという他ない見事な勝ちっぷりでした。 香港でも勝てると思っていただけに、あの故障→引退は本当に残念でした。まだまだ成長しそうな感じだったので、どれくらい強かったのかは想像になってしまいますが、「あのグラスワンダーをマイルで破った馬」として、私の心には残り続けていくと思います。
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